ごきげんよう!
Webライターの裕華です。
さきごろ、とても悲しい出来事がありました。
そう、首里城が火災にあったことです。
沖縄の皆様、お見舞い申し上げます。
先月31日の未明に出火、約半日燃え続け、
鎮火しましたが、見るに堪えない
変わり果てた姿になってしまいました。
私は、この年末に久々に沖縄本島に
旅行の予定を立てています。
首里城もその旅程に入っていたのです。
何度か私は行ったことがありましたが、
同行するお友だちの家族が
まだ行ったことがないので、
ぜひ、見せてあげたいって思っていました。
どんな原因であっても
もう、あの美しい姿は見ることが
出来なくなりました。
とても悲しいことです。
あの美しい姿の首里城について
少し触れてみましょう
首里城は沖縄の歴史・文化を
象徴する城であり、
首里城の歴史は琉球王国の
歴史そのものです。
首里城は小高い丘の上に立地し、
曲線を描く城壁で取り囲まれています。
その中に多くの施設が建っています。
いくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地も存在します。
これらの特徴は、首里城に限られたものではなく、
グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴です。
他のグスクは首里城との競争に
敗れ滅んでしまったが、
首里城はグスクの特徴を
保持しながら新たな発展を遂げていきます。
首里城は内郭(内側城郭)と
外郭(外側城郭)に大きく分けられ、
内郭は15世紀初期に、
外郭は16世紀中期に完成して
正殿をはじめとする城内の各施設は
東西の軸線に沿って配置されており、
西を正面としています。
西を正面とする点は
首里城の持つ特徴の一つです。
中国や日本との長い交流の歴史があったため、
首里城は随所に中国や日本の建築文化の
影響を受けています。
正殿や南殿、北殿はその代表的なものです。
首里城は国王とその家族が居住する
「王宮」であると同時に、
王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもありました。
各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、
王国祭祀(さいし)を運営する
宗教上のネットワークの拠点でもありました。
さらに、首里城とその周辺では
芸能・音楽が盛んに演じられ、
美術・工芸の専門家が数多く活躍していました。
首里城は文化芸術の中心でもありました。
1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され
「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、
各種の学校等に使われました。
1930年代には大規模な修理が行われましたが、
1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼しました。
戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなりましたが、
大学移転後に復元事業が推進され現在に至ってます。
復元された首里城は、18世紀以降をモデルとされています。
2000年12月には、首里城跡が世界遺産に登録されました。
沖縄のシンボルとして、
また、沖縄を訪れる多くの観光客が
首里城を訪ねます。
そして、はるか昔の琉球王朝を
あの首里城をみて想像したことでしょう。
でも、今はそれも叶わぬこととなりました。
また、再建はされるでしょうが、
それまで、私は、心の中に首里城をずっと
描き続けたいと思います。
あの美しい姿を
首里城再建を応援してください
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裕華
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