シルクロードのオアシス都市ペルシャ紀行

シルクロードの旅を始めて10年、最後の地イランを訪問したのは数年前。
イランはペルシャと呼ばれ、オリエントの大帝国として独自の文明を発展させた。
シルクロードのオアシス都市でもある。

アケメネス朝ペルシャがアレクサンドロス大王によって滅ぼされてから複雑な歴史を重ねて、
ホメイニ師によるイラン・イスラム共和国として樹立された。
その後、イラン・イラク戦争の混乱を経て現在に至っている。

このさまざまな複雑な歴史の中で、
旅行者にとっては至福の時を過ごせる多くの遺跡を残してくれた。

まだちょっとこわい国というイメージがぬぐいきれない面もあるが、
訪れたイランはにぎやかな交通渋滞の都会であり、
ちょっとまちから離れると、山と砂と天然ガスの炎がもえている景色となる。

 

成田からドーハ経由で約12時間。首都テヘランに着く。
飛行機を降りる前に女性はスカーフをかぶることが要請される。
法律で決められているので、キリスト教徒でも仏教徒でもかぶる必要がある。
服もお尻が隠れる長い上着が必要。
寒くもないのにかぶらなければならないこのスカーフは本当にうっとうしい。
男性には何も要請されないのが悔しい。

でも、人間の適応力というのはすごい。
ホテルの部屋の中でしかはずせないスカーフだが、
何日かすると気にならなくなる。
こうして人は洗脳され支配されていくんだと思った。

イランの「核は持っていない」宣言、「悪魔の詩」事件(日本でもこの訳者が殺されている)
イランをめぐる暗い様相は今は微塵もみられない。

テヘラン空港でのパスポートチェックの時、娘がなぜか別室に連れていかれた。
部屋の中に別の出入り口があり、そこから連れ出されるのではないかと身が凍る思いがした。
仕事でアメリカに住んでいたことがあることしか思いつかない。
イランは当時はまだアメリカの経済制裁が行われていて、
アメリカに対する敵意は相当なものだった。
歩道の敷石にアメリカ国旗が描かれていて、
知らない間にそれを踏みつけるという仕掛けがあったり。

娘が別室から出てきた。
指紋採取する機械か、なにかがうまく作動しなかったので開放されたと。
なんとアバウトな拘束!!拘束するならもっとしっかりやれとは言わなかった・・・が、内心思った。

イランは親日国でもある。
日本はイラン革命後も石油の輸入を続け、
イラン革命時のアメリカ大使館人質事件後、欧米各国がイランと一線をひいたが、
同じ有色人種同志、キリスト教国ではなく仏教国であるということからイランは日本に友好的である。

中東国が比較的日本に友好的なのは、イスラムの規範が、
日本の規範と似ているという点があるという。
「人には親切に」「貧しい者には分け与える」「嘘はつかない」

イスラムの国ではちゃんと行われている。
障碍者は親族が面倒をみるし、親戚の経済的援助もする。
親族は一緒に住んで大家族であったりする。
日本ではもう失われてきていることを彼らは知らない。

まちを歩いていても一緒に写真を撮ってと言われることが多い。
女子学生は話をしてと近づいてくる。
もっとも英語なので、これは娘に振り分けたが。

若い女性は勉強熱心で、それに美しい。
男性より女性のほうがさえているし、しっかりしていると感じた。
娘も「男より女のほうがしっかりしてるな。男はあかんな」と。
「だからあんたは結婚でけへん」という言葉を飲み込んだ。

 

美しい宮殿や庭園、イスファハーン、ペルセポリス、ゾロアスター教(拝火教)の古代から消えない火など
教科書や本で見たものがそこにあった。
イスファハーンの美しいタイルに見とれ、
ゾロアスター教の消えたことのない火に「嘘やな、ぜったい消えたことあるな」と罰当たりなことを話しながらも、
イスラムの文化を堪能した。

ホテルも立派なホテルが建設されてきている。
あてがわれたホテルの部屋を見て、こんないい部屋であるはずがないと確認したりした。

ところが、翌朝散歩しながら自分の部屋を見上げると、
なんとその上層階はまだ工事中だった。
機材がそびえ立っている。

が~~ん!!ありえなーーい。
「やっぱりな」。
何がやっぱりなのかわからないけれど、やっぱりだった。

ありえないところがありえてしまうのが旅の醍醐味でもある。
高級な旅をしているのとは違う経験がまた積み上げられた。

イスファハーンの美しさもさることながら、
マスジェデ・ナスィロル・モスクはバラモスク、ピンクモスクともいわれ美しいステンドグラスが満載のモスクだ。
インドの新婚さんがみんなの写真のモデルになっていた。

旅のハイライトペルセポリスの遺跡は滅んだ悲しさをたたえながらも、りんとしてそこにあった。
美しかった。切なかった。

シルクロードを旅することは、イスラムの文化の中をいくことでもある。
決して豊かではない自分より、もっと貧しい人たちと接することでもある。
美しいタイルや、きめ細い細工を生んだ文化に触れることでもある。
祈る姿に触れることでもある。

イランは比較的豊かであることを感じた。
もっとも通り過ぎるだけの旅人にどれほどのことがわかるのか?
旅は旅する者にとっては日常からの逃避にすぎない。
日常を脱している者が日常を生きる人を判断してはならない。
・・・・・と思う。



 

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つーちゃん

つーちゃん

大阪生まれの大阪育ち、大阪大好き生粋の浪速っ子です。 旅行大好き、世界を旅したい、その想いで仕事を頑張る時代を終了したにもかかわらず、今また新しいことに挑戦中です。 若い人の後を追いながら、走りながらの挑戦です。 私と同年代の人たちに諦めないことを知ってもらいたくて。 頑張るのではなくて、楽しもう、元気でいようと毎日を生きています。 どんなワクワクが生まれてくるのかを楽しみにして。

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